NPO設立までの経緯

直接的な設立の動機と経緯

2006年6月、夕張市の財政破綻が表面化し、観光施設の一つとして維持されてきた石炭博物館が存続の危機に陥りました。10月21日に石炭博物館が休館、11月27日には博物館を運営していた第三セクターの(株)石炭の歴史村観光が自己破産し、従業員が全員解雇されたのです。

同時期に夕張市は、石炭博物館をはじめとする公共施設・観光施設の売却先または指定管理者の募集を開始しました。当時、石炭博物館の経営数値が明らかでなく、指定管理者として応募する者がいるかどうか未知数でした。
石炭博物館は、単に夕張市だけの施設ではなく、北海道の石炭産業の歴史を表象する施設であり、空知産炭地域で活動している市民団体にとっても、かけがえのない貴重な中核的施設でした。そのため、何としても存続を模索しようという機運が高まってきました。

そこで、ともに産炭地出身で石炭博物館への思いが深い吉岡宏高(北炭幌内鉱出身、札幌国際大学助教授)と青木隆夫(北炭新幌内鉱出身、元石炭博物館館長)の二人で、石炭博物館に関する基礎的な経営数値の洗い直しに着手し、『石炭博物館再開に向けて』という運営計画書にまとめて、2007年1月13日に報道機関に公表しました。

さらに石炭博物館の指定管理者として応募する準備を整えるため、2007年1月19日に空知産炭地域の市民団体を糾合した「炭鉱の記憶再生事業団」(任意団体)を設立するとともに、同団体を母体にNPO法人を設立すべく炭鉱の記憶推進事業団設立発起人会を夕張市で開催しました。

1月31日に、石炭博物館の指定管理者として申請しました。その申請書には、単に夕張市の施設を維持したり産業遺産記念物として残すというだけでなく、過去の反省を踏まえて、新たな概念と機能を具体化できる体制の下で運営されるべきであるという運営方針を示しています。

その基本をなすのは、次の3点であり、空知各地域の市民活動をベースにした運営体制を前提としています。

  • 北海道の歴史を伝える《教育文化施設》の位置づけ
  • 夕張だけではなく空知再生のモデルとなる《市民自治的な仕組み》
  • 空知産炭地域が連携するための《中核的な場》としての機能

2月13日、石炭博物館の指定管理者に加森観光(株)が内定したため、団体の活動内容を、緊急避難的な措置として石炭博物館に特化していたものから、本来目指すべき夕張市と空知産炭地域との連携を強く意識したものへと内容を再構築しました。

この方針変更を受けて、3月3日に「NPO法人炭鉱の記憶推進事業団」の設立総会を開催し、3月6日に道へ認証申請書を提出。二ヶ月の縦覧期間を経て、5月28日付で認証書が交付され、6月4日にNPO法人としての登記が完了し、正式に設立しました。

 

空知各地での市民活動を基盤とした活動経緯

このように、当NPOの設立の引き金となったのは、石炭博物館の再建活動であることは確かです。
しかし、私たちの活動は夕張市の財政破綻により応急的に開始されたのではなく、NPO設立に向けた活動の基盤は、ここ十年にわたり空知産炭地域で展開されてきた市民活動にあります。

空知産炭地域市民活動は、1998年度から北海道空知支庁が推進した炭鉱遺産をテーマにした地域再生に向けた地域政策が契機となっています。その後、管内・管外の各地で市民活動が、下図のように重層的に展開されてきました。当NPOは、これら市民活動を、夕張市財政破綻を契機に糾合したものであり、実質的な活動の系譜は10年来の実績を持っています。

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設立趣意書

当NPOの設立趣意書をダウンロードできます(PDF・180KB) 

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